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日本の天皇あるいは皇帝

古代の日本は、中国皇帝の別名「天皇」を、君主の称号として和名の「すめらみこと」に当てた。歴史学者の間では、「天皇」という称号の出現は天武天皇の時代という説が有力である。日本が「天皇」という称号を持つに至った経緯は、607年聖徳太子が隋の煬帝に送った手紙において、対等を表明するため「日出る処の天子」や「東の天皇」と語ったところに由来し、663年の白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れたことで、明確に唐と対等の独立国家であることを主張するためと考えられる。

養老令天子条において、「天子」及び「天皇」の称号とともに、皇帝という称号も規定されている。

日本政府は明治時代から第二次世界大戦終戦まで、世界の独立した君主国の君主を全て「皇帝」と呼称した。これは、漢語の「王」や「公」は、天子たる皇帝に臣下の礼を取る属国の長という意味合いが強く、対等を建前とする近代的外交関係においてふさわしくないと考えられたためであると考えられる。また、対外向けの呼称としても、天皇の事を「皇帝」と称した。

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江戸中期から幕末にかけて、西洋は「徳川将軍」を「皇帝」、「幕府」を「帝国政府」、諸藩の大名を「諸王国の王侯」と認識していた。鎖国中の西洋における日本に関する知識はエンゲルベルト・ケンペル著の日本誌に拠る所が大きかったが、本書において徳川将軍を「世俗的皇帝」、天皇を「聖職的皇帝」とし、両者を皇帝としたからである。江戸時代中期までは徳川幕府が禁中並公家諸法度によって朝廷を統制するような状態であり、この認識はあながち外れたものではなかったが、幕末において江戸幕府の権威がゆらぎ、天皇が将軍の上位者である事が再認識される状況において、次第に天皇が真の皇帝であると西洋諸国にも認識されるようになった。

ヨーロッパの言語では、中国の「皇帝」や日本の「天皇」の訳語にヨーロッパにおける「皇帝」を意味する語(英語のemperorやドイツ語のKaiserなど)が用いられる。江戸時代には将軍をemperor、天皇をMikadoと表記していたことがあったが、日英同盟(1902年)の覚書に「日本国皇帝」と表現されたことでemperorとなり、世界的に皇帝として天皇が認知されるようになった。ただし諸学者の中にはTennoをそのまま用いるものもある。皇族は英語ではimperial Princesとなる。日本は現在、君主の英語呼称にemperorを用いる世界で唯一の国である。

また明治から大正にかけては、外交文書に限らず国内向けの公文書においても「日本国皇帝」の称号が使われているケースがしばしばみられる。

なお、韓国では政府の公式文書や外交時の儀礼的な場以外では、伝統的な華夷秩序(原則として皇帝は中国の君主が名乗るものであるとする主張)や、小中華思想(韓国人にとって、日本が韓国より上位であることは道徳的に許されないことであり、まして日本の首長が皇帝を名乗ることは僭称であり、韓国に対する非礼であるという思想)の観点、また皇帝は帝国の君主につける呼称で、現在の日本は帝国ではなく王国であるため、その君主は王と呼ぶべきという主張、そして他の国の君主は王と呼ぶのに日本だけその格上の皇帝にあたいする天皇と呼ぶのは公平さに欠けるという主張などが交わり、天皇を「イルワン」(日王、??)、或いは「イルボンワン」(日本王、???)「イルボンクグァン」(日本国王、????)と、「皇帝」よりも格下の「国王」の称号で呼ぶことが多い。最近には「天皇」という呼称をペルシアのシャーやトルコのスルタンのように日本で君主を称する固有名詞のように捉える動きもあり、一部マスコミで「天皇」を使用したこともあったが、現在ではまた元の状態に戻っている。

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2009年04月22日 15:52に投稿されたエントリーのページです。

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