江戸時代は征夷大将軍徳川氏を中心として、武士階級が支配していた封建社会であった。一般市民の身分制度は士農工商と呼ばれる階級制であり、武士が民衆を支配していた。それまで武士と農民は分離していなかったが、豊臣秀吉の刀狩りと武士は城下・町人は町屋・農民は村落と住居が固定されるなどにより武士階級と農民が明確に分離された。しかし江戸時代の各階層にある程度の流動性も見られる。特に江戸には飢饉などにより地方から流入してきた農民も多く、幕府はしばしば帰農令を出している。また、全国の諸藩には、郷士と呼ばれる自活する武士も存在した。彼らは城下に住み藩主から俸禄を貰っていた武士である藩士とは明確に区別され、また一段下の身分として差別されることもあった。幕末に活躍した人びとには、勤皇方、幕府方を問わず、下級藩士・郷士・町人など軽輩階層出身者であった者が多い。
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幕府は江戸、大阪、京都に町奉行・所司代を置き重要視したが、その他伊豆・日田・長崎・新潟・飛騨や重要鉱山に代官を配置し支配した。これらの支配力は単に一都市に限らず、京都所司代は山城・丹波・近江など、大阪町奉行は西日本諸国の天領の采配がそれぞれ許されるなど、管轄地の諸大名を監察する役目もあった(京都所司代は朝廷も監視していた)。但し、彼らの用いる兵力は殆どなく、18世紀初頭の長崎奉行は10数人、幕末の五条代官所でも30人しかいなかった。